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太陽に向かって走れ     
 CYCLE TO THE SUN 2005 参戦旅日記  小山 治郎

水彩画 小山治郎
今回、レポートを寄稿していただいたのは小山治郎さん。全日本マウンテンサイクリングin乗鞍1時間10分21秒で走りきるヒルクライマー。究極のヒルクライムを求めて、2005年サイクルトゥザサンに参加した体験を貴重なレポートにまとめていただきました。レース中の様子が詳しくレポートされていて、これから参加される方にはとても参考になると思います。またイベント前後のマウイ、オアフ島でのライディングも書いていただいてハワイをライディングしてみたい方、必見です。
 

月月火水木金金

もう燃え尽きていた。
一昨年の夏。自分で云(い)うのも小恥(こは)ずかしいが、私は弛(たゆ)まぬトレーニングを続け、体重を抑えるために食べたいものも我慢して、日本最大級の自転車ヒルクライムレース(上り坂だけで競われる酔狂(すいきょう)なレース)、「全日本マウンテンサイクリングin乗鞍」に臨(のぞ)んだ。サイクリストが「ノリクラ」と云えばほぼ間違いなくこのレースを指す、有名な大会である。結果、距離20km、標高差1200mの上りを1時間10分21秒という、自分としては「超」のつく満足なタイムで走りきったのだった。素晴らしい達成感があった。やった!できる限りの努力をした。もうこれ以上は無理だろう。…ん?これ以上は無理?じゃあ来年以降は記録が落ちるばかりだな…。だんだんと空虚感が漂(ただよってきた。
「サイクル・トゥ・ザ・サン(CYCLE TO THE SUN)」
太陽に向かって走る…。ハワイはマウイ島の最高峰ハレアカラ(Haleakala)山頂まで海岸線から一気にかけ抜ける、標高差3000m、距離56kmの世界最大のヒルクライムレースだった。「ハレアカラ」とはハワイ語で「太陽の家(house of the sun)」を意味するという。なるほど、太陽の住処(すみか)がゴールか。
大会公式HP(ホームページ)(http://www.cycletothesun.net/)を見れば、
「地球上でもっとも厳しい坂道を(Race up the steepest road)上るレース( on earth)」
とある。沸々(ふつふつ)と闘志が湧(わ)いてきた。挑戦したい…。
 気がつくと、各方面に根回しをする自分がいた。こういう行動は早いんだよなぁ。
 再び早朝トレーニングに勤(いそ)しむ日々が始まった。


翼伸ばせし幾(いく)千里

それから1年間、私は家庭では良妻賢母ならぬ良夫賢父に努め、子守りをしながらアイロンがけをした。職場では溜(た)まった仕事を全部他人に押し付けた。
かくして平成17年8月19日金曜日の夜、晴れて機上の人となっていた。航空会社の機材整備不良が騒がれていた頃で、念入りに整備された某航空076便は定刻より1時間遅れて成田を発(た)った。
約3時間の眠りから覚めると、程なくしてホノルル国際空港に着いた。0940(現地時刻9時40分・以下同様)だった。アロハ航空72便の搭乗時刻は1100なので焦(あせ)ったが、乗り継ぎ客は優先的に降機させてもらえ、入国審査も並ばずに通過できた。荷物もすぐに出てきて、スムーズにローカル線ターミナル(Interisland Terminal)へ直行。45?のザックと大きいバイクケースは邪魔で非常に目立ち、冷たい視線を感じながらゴロゴロ運んでいく。


勝手知らない焦(じ)れったさ

チェックインカウンターにバイクと大きいザックを預けて、セキュリティーチェックへ。ここでサブザックの中身を検(あらた)められ、六角レンチを咎(とが)められた。水彩画の道具など、確かに怪しいものが多かったが、成田ではあっさり通過できたのに。渋々チェックインカウンターに戻ってサブザックも預けた。この時点で1040過ぎ。再びセキュリティーチェックへ行くと、再検査は先程よりさらに厳しい。両手両足を広げ、金属探知機を舐(な)めるようにあてられ、タッチチェックも受ける。
「この狼藉者(ろうぜきもの)が、いつかセクハラで訴えてやる!」
(とは云わなかったけどね)
こちらが急いでいるのもお構いなしである。ようやく検査が終わると、搭乗口に走った。
なんだかんだで、1055に搭乗口に着いた。ほっ。間に合った。が、皮肉にも搭乗案内は20分遅れた。
一息ついて搭乗すると、窓から荷物の積み込み作業が見えた。
「お、自分のバイクケースがある。よしよし、一番上に積んであるな。取り扱い注意の壊れ物だから慎重(しんちょう)に頼むぞ。」
と思うやいなや、荷物係がバイクケースを放り投げた。
  「…。」

精神衛生上、離陸まで外は見ないことにした。
アロハ航空機は例によって自動車のように滑走路に向かい、無造作(むぞうさ)に離陸した。約30分飛ぶと左に90°旋回した。大きな2つの山の間を狭い平野(地峡(ちきょう))でつないだ瓢箪(ひょうたん)のような形の島が見えてきた。ン年前、新婚旅行でハワイ島に渡った際に見ているはずだが、地形はまったく覚えていなかった。マウイ島の平面形は、女性の上半身を横から見た形によく例えられる。胸部にあたるのがハレアカラで、頭部にあたる西側の山はハレマヒナ(Halemahina)という。その意味するところは「月の家(house of the moon)」。なんとも風情(ふぜい)のある名づけ方ではないか。
ハレアカラの山頂は雲に覆われていたものの、その裾(すそ)の広がりは巨大な山容を想像させるに十分であった。
「あれを登るのか…。」
後悔にも似た想いがよぎる。
「怖気(おじけ)づいているのか?お前はこれを登りに来たんじゃないのか?」
精一杯強がって、自分を叱咤(しった)した。
「女性の首筋」に沿って高度を下げると、赤茶色の大地の真ん中にまっすぐな舗装道路が見える。いかにも田舎という感じを受ける。カフルイ(Kahului)空港へはそのまま真っ直ぐアプローチ、接地した。
空港では今回のツアーを企画した会社アロハ(Aloha)・バイク(Bike)・トリップ(Trip) (http://www.alohabike.com)の河村さんが待っていてくれて、同じツアーに参加していたT中さんとK村さんにも初めてご挨拶(あいさつ)した。なかなか荷物が出てこずにやきもきしたが、ピックアップしてからアイさん(河村さんの奥様)にマウイビーチホテルまで送っていただいた。この宿は空港から近く、観光を目的にしなければ便利である。早速エントランスで自転車を組み始めた。ハワイ自転車生活がいよいよ始まる。

走れ日の丸銀輪部隊

皆の準備が完了し、河村さんの案内で1450ライディング開始。いざ見る南の輝く太陽は強く照りつけ、30℃前後ありそうだが、空気が乾燥していて爽(さわ)やかだ。これだけでも重い荷物(自転車)を担いできた甲斐(かい)があるというものだ。
近所の健康食品店で腹ごしらえ。ビュッフェスタイルで、ラザニアやグラタンの類(たぐい)が多く、なかなかおいしい。4人で食事をしながら、簡単に自己紹介。
河村さんはアロハ・バイク・トリップの主宰者(しゅさいしゃ)。伊豆の下田に拠点(きょてん)を置き、ロードバイクとマウンテンバイク両方のガイドツアーが主なお仕事。もともとはサーフィンのためにマウイを訪れるようになったとか。
K村さんは都内練馬にお住まいで、耐久レースに参加するなど、コンスタントにロードバイクを楽しんでおられるとのこと(帰国してからも荒川サイクリングロードでばったりお会いしました)。
T中さんは九州福岡の方で、普段は3輪のリカンベント(仰(あお)向(む)けに寝そべってこぐ特殊なスポーツ自転車)に乗っているという面白い趣味の方。今回ご持参の自転車も、自分で製作した部品で改造するなど、とても個性的。6月に長野でおこなわれたツール・ド・美ヶ原に出ていたそうなので、私とはどこかですれ違っているはずだ。
さあ、コースの下見に出発だ。とはいえ、本番のコースを今から登りきれるわけがない。標高1000m程のクラ(Kula)の町を目標にする。
まずはカフルイの市街を抜け、レースの出発地点パイア(Paia)を目指す。空港脇のサイクリングロードを走ると、空港の向こう側に雲をかぶったハレアカラが見える。穏(おだ)やかな姿態(したい)は女性的で、とても3000m級には見えない。見上げる感じでもないので、山頂はここからかなり遠いところにあるのだろう。
すぐに幹線道路ハナ・ハイウェイ(Hana Highway)に合流し、カフルイから10km強でパイアである。T字路を中心とした半径200mほどの地域に商店が建ち並ぶ小さな町で、雰囲気のある建物が多く、旅情をそそられる。ハワイといえばワイキキの近代的な市街をつい想像してしまうが、ここには昔の面影がある。聞けば、かつてパイアは砂糖の町として賑わっていたという。
パイアの交差点を右折してボールドウィン通り(Baldwin Avenue)に入るとすぐ、スタート地点となる駐車場があった。いよいよレースコースに突入する。勾配は4〜5%、木立の間をゆるやかな上りが延々と続く。製糖工場の廃墟を過ぎると両側が開け、サトウキビ畑の向こうにハレアカラが広がった。
しばらく行くと、雨が降ってきた。標高300mくらい、低い雲の中に入ったのだ。天然シャワーが心地よい。
ここまでは4人1列に並んで走っていたが、調整を兼ねて、マカワオ(Makawao)まで各自マイペースで走ることにした。それまではゆっくりだったので、自分はやや重いギヤをかけてペースアップ。レースのスピードを想像しながら、シミュレーションしてみた。何しろ日本には存在しないレースである。集団は一体どんなスピードでここを駆け抜けるのだろうか。
マカワオは標高およそ500m、これまた渋い趣(おもむき)のある街だ。マカワオ通り(Makawao Avenue)との交差点に数件のお店と民家。カウボーイの町という。古きよき時代のアメリカと聞いて、私が思い浮かべるのはまさにこんな街である。ここで後続を待ち、合流。
交差点を過ぎると、急な坂道が現れる。14〜5%であろうが、2〜300mほどで元の斜度に戻る。1kmも行くと左手にマカワオ・ロデオ・グラウンズ(Makawao Rodeo Grounds)という牧場があり、レースコースはここで右折するという。標高は600m、パイアから11kmの地点である。しばらく休憩し、今日はここで引き返すことにした。
来た道を戻るが、意外に長い。もちろん、往路と同じ場所で雨。睡眠不足と疲労もあるので、細心の注意で下った。以前赤城山を上ったとき、疲れ果てて下りで眠くなり困ってしまったことがある。もっとも、そのときは150km走った後だったけどね。明るいうちに無事ホテル到着。河村さんはご自分の宿に戻って行った。

走行記録:距離51km・時間2時間18分・平均速度22.4km/h

 
         
   
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